肉体は何より正直である。それは本能に直結して身体を動かしているからだ。
頭で考えて動いているあいだはダンスではない。それは考えたやっているからだ。
私はダンサーであって、表現者であって、普通の仕事をする人でもある。
だからこそ思うこと
肉体は嘘をつかない。
芝居も歌もどんな表現もその肉体が自動でやれるぐらいまで叩き込む必要があると私は思っている。
これは、タップダンスで有名であった。ブレッドアステアも、おなじようなことを言っているし、実践をしている。
矛盾したはなしだが、フリを、わたされてもそれを、やっているうちは踊りにはなっていないということ。
即興芝居はその場にあり続けることを、表現し頭の中に入らないようにやっている(思っちゃいけないんだけど)
まだまだ、私はこのジャンルの踊りはまだまだ、未発達ですし、だからひとつ考えることをやるのは、
「コンタクトしている重さを徹底的に感じることだけに集中する」
これが、功を奏すると思っている。
踊りとはまた違ったせかいで、重さというものだけを感じるようにしている。つまりは、別の世界で何かをしている。
第三者の目線になれるような感じがするのがいい。
モダンダンスをメインにやっていた時にもないなんとも言えない自由な感じはこの時には感じることができる。
しかし、市松の不安がないわけではない。自由にやっているということは、自分の癖の中で、動きをやっているということもあるのだ。
これが、なければ、一番いいのだが、この瀬戸際だね。
まずはしばらくは、難しいことを考えず、体を動かしやり続けてみようと思います。
そして、なんとも国際交流ができるのはダンスの特徴。
チリのお客様がいらっしゃいました。
全く日本語ができずに、母国語はスペイン語でも英語は話せるのがすごいところですよね。
私も英語で必死で対応でしたが、全く満足行く結果にはならなかったですが、
言葉がなくても体で行けるこれが、いいかんじ。
ダンスの魅力があるのかもしれない。世界をつなぐ一つのツールかな