2015 最初のオーディション。
もともと、自分で好き好んでオーディションを受けるタイプではなかったので、いまのポジションにいるのだが…
今回友人の正体でこのオーディションを知ることができた。
先に書いたが、オーディションを、あまり受けるつもりがないので、人に教えられたり、しない限り自分では、探さないんですよ。
でも、今回のはやっぱり気になった。
報酬が出るかもしれないが、どちらかといえばそれは関係がなくて、
無料でも、今回のオーディションは受けていたかもしれない。
ピナバウシュ
映画になったからこそ、多くの人たちに浸透したのかもしれない。
ピナ独自色である、ジャンル「タンツテアター(Tanztheater)」
ドイツ表現主義と舞踏の色と、色々混ざった感じ。
だから当時はニュージャンル。
さて、話をオーディションに戻そう。
日本では、ジャンルレスのコンテンポラリーと、踊りイコールストリートダンスのように誤解される世の中。
そんな中、タンツテアター、ポストモダンスが日本で公演をやるのだ。
正直嬉しかった。
現代舞踊をやっているものとして。
日本では関わることはできないと思っていたから。
オーディションは
ダンサー
役者
その他パフォーマー(ミュージシャン)
と分けられた。
日を分けてオーディションを行う。
そして、私は、役者枠を選択した。
踊りを毎日のようにやっていても、私は最近ダンサーとはいえないのではないかと思っていた。
作品を創ることもなく、舞台で公演に出ることもほぼない(バレエ以外)
むしろ今となっては、即興や歌のほうが自分で力を入れているとさえ思えるからだ。
作品のオーディションを行う前に30秒の自己紹介タイムが渡される。200人を超える人達が、それぞれ、自己紹介をしていく。
絶対受かってやろうとしている人はその30秒を念入りに作り、演じるものもいたが、私はそれはしなかった。
インプロヴァイザーとして、ほぼ、満席状態のあうるすぽっとにひとりで舞台に立つたとえ30秒であったとしても、今後経験することはできないかもしれない。
リラックスをしていたつもりが、急に体が沸騰して、言葉が焦り出す。たぶん20秒も持たなかったのではないかと思った。
ただ、体裁をととのてるのかもしれないけど、自分のパフォーマンスを見せることもせず、その場で、テンション高めで話していた。
これは経験不足。
できなくても、やり続けることをやらないと私はできないかな
そんな個別のPRを見ていて、おもったこと。
私は、なぜ、ピナのオーディションを受けているのか。
なぜ、この場にいるのか。
なんでだ?って自分に考えをめぐらしていた。
ピナの舞台で、何をやりたいのか?
それを考えたら、正直に動いたら、結果は簡単だった。
私は、この舞台で踊りたかったのだ。
まだ、自分がダンサーでいたかったのだと思う。
私の踊りのベースになっているのはマーサグラハム
モダンダンスのカリスマであり、多くの動きのベースを作った人。
最近はクラシックバレエ ホートンやアルビンエイリーも学んだ。
なんだかんだ言っても、
私は踊りをやってきたんだなぁって、
10年近く、成人後に誰からも推薦されないのにテクニックもないのに、ただ、ただ、踊ってきたなって、思えた。
最も受かる可能性の低いと思っていた。
ダンサー枠でオーディションを受けることにした。
何かを覚えることがとことん苦手な私。結果は散々である。
だけど、ダンサーとして、挑戦ができたことを心より嬉しく思った。
まだ、踊っていてよかったんだなぁって。
振りはこなせなかったけど、ピナで使われた音で舞台上で踊りをやったこと。
少しだけ、心が踊った気がした。
外国ではどんな風にオーディションを受けているのか。
感じているのか。
そして、日本人であることを再認識
オーディションに行くときは大抵、受かる気がないのが多い。
今回もそうだったよ。
緊張はした、でも踊ることが出来てたのしかった。
だからそれで、いいか。
って思っていた。
振付師の目線を奪い、自分だけを見て欲しい
賞賛を浴び、ドイツで踊り次へつなげ海外でもやりつづける足がかりを…
こんな気持ちが心にある。
相手のためにを心がけていても、
自分がという心が今だ消えていない。
これが消えない限りはなんだか受からないような気がする。
まだまだ、学びが足りないな。
このオーディションが最後にならないように気持ちを磨いておこう。