仮面と言って思い出すのは、日本では能面や、おまつりでかぶるお面などだ。
自分という人格を別の人格にしてしまうその下面の存在。
たんなる。人の顔をしたもの。顔。
多分。人はその面を自分でない面をつけることで、自分ではないものにしてしまうんだろうね。
それだけ、顔という存在は人の情報の多くを持っているということだ。
なんでかな。 人は顔じゃないよ って言われていても、こうやって顔に何かをつくることで、想像以上の情報を自分の中に叩きこむんだろうね。
仮面(マスク)を使用してのワークは初めてである。
だが、縁あってか、私のマイムの師である清水きよし先生は、能面を使っての仮面という舞台を何年もやっている。
そのせいもあってか、面での舞台を見た時の感じる内容は心に残っている。不思議な感じ。
表情がないはずなのに、表情がついてくるような・・。
それが、人間の想像力。体もが醸し出す情報。
身体表現者である。わたし。面をつけることで、もしかしたら、いつも以上になにか見つけることができるかもしれないと。このワークに参加した。
今回のワークはイントロダクションなので、そこまで仮面に対して、ガッツリはやらなかったが、
それでも、自分のなかの気持の動きとその別人格の存在を感じることができた。
インプロのその場にいる感じより、もっと鳥の目といえばいいのだろうか、すべての別の場所から見ている感じ。
それだ、この面の存在は大きなもので、自分の助けになってくれるような、私にとって見れば、より楽しい相棒になっているかんじだ。
自分が学んできた演技論やその技法にもつながる感覚。
いい時間を過ごせたかな。
明日もいい1日を送れそうだ!
せんきゅうマイフレンド ヒロキュン!