ちょっとミーハーだが、地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子をみて

ちょっとミーハーだが、地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子をみて

私がTVを持たなくなって随分の年数が経つ。

でも役者をやる以上たまにはその映像作品に関わりをもったり、もちろん出演も含めてあるわけなんですが、

映像作品は舞台と違ってシーンをカットで撮影していくわけです。

舞台以上に感情コントロールなど映像作品はすごいなと撮影を見ていて常々思っていました。

その中で、TVに流れるドラマはかなりしっかりと作り込むものなんですよね。
大衆に流れるTVは基本的には一流の人たちがそれを作り上げていきます。もちろん他の要素もふくまれますが、

時代や言葉、そのときに視聴者に刺さるものを残していきます。
そうなんというか、テーマみたいなものでしょうか。

演劇の世界で食べていける世界がTVです。(日本は)舞台や私がやっているインプロショーも決してないとは言いませんが、日本の市場的に合っていないのは現状です。一時の文化が途絶えてしまいましたら、

参照 日本テレビ
参照 日本テレビ

そんななか、私に刺さった言葉が、「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」の中に有りました。

第3話で、藤岩(江口のりこ)がはなした言葉が考えさせられました。

「校閲のルールだからです。ルールを破ってまで自分の欲望を押し通すのは私の主義に反します。…」

スキな作家には私情を挟むと、その校閲のクオリティーを下げる可能性が多大にあるからとこの回では語られています。

私はこのルールという言葉にてっていする姿勢について考えさせられたんです。
私達日本人は、このルールを徹底させるという指導のもと教育を受けてきました。特にこれは昭和時代の名残と戦争を得ての結果です。いわゆるゆとり世代という人たちはこれには属さないかもしれませんが、親や、曾祖父母はそうではないのです。

ルールを遵守すること。

この精神はよく働くことも多くあります。作業の面やひとに言われたことを行う時こそこのルールがあるから、世の中はきれいに回るようにできています。

しかし、そのルールが本当の感情や、本能的な部分を殺しているのも事実です。
この3話でもこのルールにとらわれないことのほうがより良い結果を生む可能性があることを示唆しています。

時代は新たなルール以上の何かを求めているとおもった今日このごろです。

TVをもっていない私が言うのもなんですが、とても良い作品として作られていると思います。
ぜひとも時間がある方目を通してみてはいかがでしょうか?

 

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