生きるということ。

生きるということ。

登山というか、自然に触れ合うことで感じることがある。
人間は動物として、当然生きているが、町の中で自然に暮らしていても、生きているのも間違いはない。
町で生きるのは、人工物の中で生活をするということ、電車や車を使い。整備された道を歩き、コンビニなどで好きなときに何か足りないものを買い、飲食店に入り夜遅くまで活動をすることができる。
とても自由だ。どんなことも自分の資産が許す限りその活動をループさせることができる。

このとても当たり前としてきたことも、一歩人里離れた場所に来た途端に殆どが破綻する。

今回の自然散策ではそれを感じることができた。
同じ東京であるが都心とは打って変わっての自然の多さ、奥多摩に行ってきた。
と入ってもまだ、東京都電車でアクセスできるという利便性は残っている。
さて、駅の近くにはまずコンビニがない。一番近くても個人商店のスーパーである。
あるのは自販機ぐらい。
駅の近くには夕方までしかやっていない、小さなカフェのような飲食店はあった。

その場所からむかし道と呼ばれた、旧青梅街道。
現在は国道が整備され、いくつもののトンネルができ、車や、バスで行き来することができる。

このむかし道では昔の人達が立ち寄っていたであろう神社や、史跡が残っている。
江戸時代に甲州方面へ行き来をする際に利用された道だ。
困った時は神頼みという言葉を思い出すぐらい、多くのお地蔵さまや神様が鎮座されていた。
道の真横にある家などはずっと昔からその場所にあるのだろうなというぐらい、狭い場所にも関わらず、畑などと一緒に佇んでいた。

約休憩もあわせて4時間の道中。登ったり下ったりを繰り返し、とてもきれいな渓谷を望みながら進む。
そして、奥多摩湖え到着すたときは、達成感に満ちていた。

これからが面白くて、この時間をかけた道中帰りはバスを利用したのだが、わずか15分で駅に到着してしまったということだ。

料金は350円。4時間を350円で買えるという計算だ。
16分の1で終わってしまうこの時間。

私はその16倍かけて、歩いたわけだ。その時見たもの、かんじたもの、疲れ、呼吸、人との出会い挨拶などなど、コストパフォーマンスで言うと、たぶんかなり悪いだろうな。

今の時代は光の速度で動いていると言っても過言ではなく、仕事はそれだけのスピードも求められるからこそだが。

人間が生きてきた中で、感じたこと、自然にしていればこれだけの速度でしか進むことができないわけなのだが、それだけ、今の当たり前が早く進んでいることなのだ。

今生きていること。それがどれだけのスピードの中にあるのか。それは今を生きる自分にしかわかない。

なぜか、歩いているときに宮沢賢治の遺作を思い出していた。

雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい

最後の部分以外は納得して理解できる時間であった。
まだまだ修行がたりないな。私は。

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