モーリス・ベジャール バレエ団。そしてボレロ

季節は、紅葉の色づく季節となり、
身体の芯の方まで寒さが感じる時期となてきた。
そんな時期には四季のある国である日本の一つの姿を見ることができる。
花ではない。木々の葉が色づく。
街では赤よりも銀杏の黄色が目立つ。
今いる上野の東京文化会館でも銀杏の紅葉がとても綺麗で一時道は黄色の道が出来上がっていく。

季節の中で私が最も好きな時期は冬なのだが、その冬へ導入しようとするこの季節は四季がある国ならではないかと思う。

cof

今バレエ団のしごとを頂き、モーリス・ベジャールバレエ団のボレロに参加することができた。
ボレロの作品だけで話をするのであれば、今回ぼんの上でセンターをとるのは、
ジュリアン・ファブローとエリザベット・ロスの2人
どちらも素敵なダンサーだが、
今回一つの答えのようなものを見た気がする。

特に、ジュリアン・ファブローの踊りをした時彼は身体から迸るエネルギーの・ようなものを感じた。
それはなんなのか?
勿論技術もあるだろうが、それ以上のことであり、多分それが全てたのだと思う。

表現の仕方に余裕を持たせていないということ。
ダンスしているときは身体の声を確認し常にその全部をその全力に傾けているということ。
ただ踊るのではなく、そこには明日やれるような余裕を持たせないぐらいの全力。 その常にフロントラインで戦う姿勢そのものが、他のダンサーそのもののエネルギーを引っ張っていく存在になるのだ。

cof
まさにこれは即興で行う自分の考えかたや姿勢そのものではないだろうかとより、理解をしてきた。
表現をする時、余裕ではいけない。常に全力で向かう。 それをただ、むちゃくちゃにやるのではなく、自分を保って同時に他を見ることのできる身体は人の想像を超える努力を積み重ねてきた結果なのだと理解をした。
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