たった一人の女性のメッセージに、一喜一憂する私。

たった一人の女性のメッセージに、一喜一憂する私。

素敵な音楽を聞いてると、頭がさえてくるのか、はたまた、自分の感覚が麻痺してくるのか、自分の気持ちが不安定に動き出す。

ある意味では柔軟になっているということなんだけど。

音楽を聞いてるときは音楽プラス何かをしていることがほとんど。

大抵は記事の整理をしていて、いろんな情報を取得選別している。

そのときに今回思ったことは、人間が関わること何かの情報についてはどうしても書いた人の糸が見え隠れするということだ。

その辺はマスコミのワザみたいなものだが、微妙な誘導があることを改めて気づいた。事実を語る。そこにプラスでついる微妙な印象操作。気づかないレベルで人に刷り込んでいく。 それが何度も何度と繰り返されると、白だったものが黒に変化してしまうのだ。

それは、私自身も同じようになっているだろう。

イメージというものは恐ろしいと実感したことだ。

ではそんなイメージに打ち勝つにはどうしたら良いのか。

ただそれに対して反対意見を述べるだけではどうしようもないだろう。

その意見をいった人すらも巻き込みもっと大きなものとして包むこと後必要なんだと思う。

結局は人の器の大きさが問われるのだ。

自分はそれだけ大きな器の中に生きるために…というか自分が目の前にある課題をこなしていくだけしかできないときに、自らの小ささを実感し、そして嘆く。

これの繰り返し。

同じことが起こるのは自分自身の学びの機会を与えてくれているということなんだ。

イメージに打ち勝つ。よりイメージすらも内包する。そんな人生を歩み。そして、前に進もう。

こんなえらいこと書いてるけど、私はたった一人の大切な人の言葉にぐらぐらになる…

URL :
TRACKBACK URL :

COMMENT ON FACEBOOK