長く生活の一部になっていたものを辞めるには勇気がいる。
例えば、携帯が急になくなったり、ネットが全く使えなくなったりとかしたらどうだろうか?
私はネットで生きているというのもあるからかなりの死活問題だ。
ないならないで多分適用はしていくのだけども問題意識は必ず浮いてくる。
で、私は普通の会社員でも引きこもり(むしろ近いかもしれないが)でもない。
金にはなっていないが自己表現のために、自分探しと肉体の探求、アートという表現方法について考えいる。
平たく言えば表現者だ。役者やダンサーということ。
でも巷では自称ダンサーとか役者とかになってしまうほど、小さな存在だ。
生活は本当にシンプルなもので、バイトで生活の糧を手に入れ、他の時間は稽古に時間を費やす。
私にとっての稽古は自己鍛錬であり、自分の表現方法を拡大させるためのものだ。
私のチョイスはメインはバレエがあり、モダンダンスが続く。そして歌、芝居。踊りの中で一つ特質的にタップダンスをやっている。
正確にはやっていただ。
今日のブログのネタはそれである。
タップダンスとは
靴のそこに金属の板を仕込んでそれを叩くことで音を出すという方法。
まさにタップだ。
タップは人体の出すクラップ音(拍手)と近いものがあって自分の体で道具を使って音楽を奏でているようなものだ。
それに人体の動きを追加したものそれがタップダンス。
ミュージカルショー全盛時代にかなり流行ったが、現在でも存在はしているがスタイルはだいぶ変わってきている。
その次代を代表するダンサーそれが、フレッド・アステアだ。
そう言っても今のダンサーの人はこの人のことを知らない人も多い。私がもちろん生まれる前の人だが、伝説的な人だ。
キング・オブ・ポップのマイケル・ジャクソンみたいな存在だ。(当時の)
で私は、そのアステアの流れを組むフロントチップを鳴らす 吉田タケオ先生を長とする門下だった。
有名な人は中野ブラザーズなども吉田先生の弟子である。
そして現在この正当な流れ(後継者)を組むタップダンスを教えているところは正直言って ない。
悔しいことに技術が難しすぎるので習得に時間がかかるので、みんな辞めていくのだ。
私は不器用なもので、ずっと続けてきたが、 今日、靴をぬぐことにした。
10年続けてきた。
今日はじめてタップをできたことに感謝することができた。
スタジオに着いた時靴を履いた時、音を鳴らし体をUPさせ始めた時
今までにない感覚に襲われた。本当にこれが最後なんだと、覚悟したからこそ感じられたのかもしれない。
肉体的にもまだ成長は可能であった。しかし、自分の気持ちが、もう、そこにはなかったのだ。
非常にいろんな気持ちが交錯して今でもいろんな思いの中にいる。
バレエなどでは正直自分に未来はない。技術的な面で、小さい時にやっていた人にも、今の人にも、全くかなわない。
タップはまだ可能性があった。男性がいなく、ましてや本来の源流のステップを教えてもらえている数少ない1人だったからだ。
でも私は靴を置くことにした。使い込んだタップシューズ
清々しいとはまだ言えない。
10年も共にやってきた事を辞めるのはやっぱり容易では無いのだ。
もし私に恋人がいたならば今ただ、何も言わず一緒にいて欲しい気分だな。